由緒

粟嶋神社由緒略記

寛永10年(西暦1633年)この地に信心深い、老夫婦の次衛門とその妻がすんでいました。
この年の2月3日夕方のことです。大層粗末な身なりの旅の僧が訪れ、一夜の宿を乞われました。信心深く正直者の老夫婦は快く招き入れ、素朴ながら心からのおもてなしをいたしました。その夜、寝ている老妻の夢枕に一人の神様がお立ち遊ばれ、「我は粟嶋の神なるぞ、信心深き汝等に幸を授けん。」とお告げになりました。
さて、翌朝「私はこのように貧しい旅の者、にもかかわらず、昨夜からの心のこもったおもてなし、まことに有り難く存じます。」と言い残されて旅立たれました。気がつくと、僧侶の布団の枕元に一体の御神像がおかれていました。驚いた老夫婦が急いで僧侶の後を追いかけましたが、僧侶の姿は見当たりませんでした。そのうちに老妻は、はっと昨夜の夢のお告げを思い出し、二人はこれこそ御祭神少彦名命(すくなひこなのみこと:粟嶋大明神)に相違ないと想い、小さな祠を建てて御神像を安置し、朝夕熱心に信仰しました。
ところで、当神社の御祭神少彦名命は、出雲大社の大国主命(おおくにぬしのみこと)とともに豊かな国造りに活躍され、国土の開発・医薬健康の祖神・諸業繁栄などに霊験あらたかな粟嶋大明神のご神徳を聞きつけ、多くの方々が参詣されるようになりました。当神社では、2月3日を縁日と定められましたが、明治38年に新暦の3月3日に改められ毎年春季大祭・秋季大祭を行うこととし、県内はもとより県外からも多くの方々にお参りいただいております。

ミニ鳥居くぐり

日本一小さい鳥居の由来
粟嶋神社の境内には、縦・横30センチの石造りの鳥居が三基あります。
この鳥居は、文化11年(1814年)当時、重い病に苦しまれた方が、医薬の祖神として霊験あらたかな粟嶋大明神のご神徳にすがり当神社で御祈祷を受け、熱心に信仰されたところ、奇跡的に病が完治しました。そこで病気平癒のお礼に感謝をこめて他に比類なく永久に残るものをと奉納されたものです。
現在のように機械化の時代とは違い、農耕が人力に頼っていた時代の農作業は、体調を崩す方、特に足腰の痛みに悩まれる方が多かったようです、そうした方々が、この鳥居をくぐると腰が伸び足腰の痛みも和らぐ等の神徳の効用が見られ、腰を伸ばす鳥居と言う ことで『腰延べ鳥居』とも言われています。なお、この鳥居に願い事をこめてくぐり抜けると霊験あらたかとの言い伝えがあります。